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ニューヨーク的思考
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2013 年 10 月 4 日

カテゴリー:NYこのごろ

正義

 ニューヨークで銃を使った事件は毎日のように起こります。ニューヨーク市だけで犯罪絡みで殺される人が年間600人もいるわけですから日々、銃の事件が報道されても不思議ではありません。ニューヨークの暴力は銃だけではありません。最近繰り返し報道されているのがバイクの集団による暴行事件です。
 数十台のバイクに前後、両サイドを囲まれた車がバイカーにとまれの指示をされる。この様子は一人のバイカーのヘルメットに着けていたビデオで一部始終が撮影され、何度もTVで放映されました。車の前のバイカーがわざとゆっくり走行し、車を止めようとする。その瞬間、車は猛加速してバイクを撥ね飛ばし、逃走する。怒った数十台のバイカーたちが追跡、バイカーの一人がナイフで車のタイヤを切り、車は街中でストップ。バイカーがストップした車の窓を割り、殴り倒して車の運転手の顔を切りつけると言う事件です。
 車が跳ね飛ばしたバイカーは意識不明でおそらく二度と歩けないとの診断。この事件、警察は車の運転手の正当防衛を認め、運転手の刑罰は問わない姿勢です。バイカーの当事者は逮捕されました。車には2歳の子供と奥さんが乗っており、彼らを守るための行為であったと言う判断です。
  米国ではこの種の白黒の判断が非常に早い。昨日は心の病を持つ34歳の女性が何を思ったか首都ワシントンのホワイトハウス前の道路を逆走、制止する警備員を跳ね、ホワイトハウスに向かうと言う事件がありました。このような事態の警察の行動は決まって銃による射殺です。警察に追い詰められた車はパトカーにぶつかりストップ。それを狙って複数の警察官が銃で発砲し、問答無用で射殺する。
 ニューヨークでちょっと前に起きた事件も同じです。タイムズスクエアで銃らしきものを振り回している男を複数の警官が射殺。あとで銃でないことが分かる。それでも現場で即座に白黒を判断する。そういう規則(プロトコル)になっています。日本の警察のように上部の判断を仰ぐ前に正義の白黒をつける。
 このような正義の判断や銃を使った解決方法は憲法で保障されている自分の命は自分で守ると言う精神から来ているように思います。銃規制でいつも問題になるこの憲法2条ですが、深く米国の社会に浸透しているように思います。
 それでも平和的に解決できる方法があるように思えてなりません。

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