寒くなりました 2012 年 10 月 15 日
ここ2,3日、急に寒くなりました。明け方は氷点下まで気温が下がり、あまりの急変に体がついていくのが大変です。ニューヨークでのこの時節で一番の困りごとはFLU(フルー、流感)です。このウィルス、日本での風邪やインフルエンザと違って強烈です。環境が違うせいかもしれませんがこのGerm(菌)にやられると胃が直撃され、吐き気がします。何度か経験しているのであああれかと私は合点してしまうのですが、海外からPCTECHに来ている生徒さんの中では何が原因で吐き気がするのか分からず、救急車をよんだこともあります。それほど不愉快な流感なので本当にこの時期は気を付けなければなりません。手洗いとうがいを励行するしか手はないのですが油断するとやられます。皆保険がない米国では風邪を引いたからと気軽に病院へはいけません。治療代が半端ではないからです。そんなことを考えると余計に風邪などひかないように気を使います。握手が当たり前のこの国ですがこのシーズンはその習慣も歓迎できません。
自転車の安全講習会 2012 年 10 月 13 日
自転車は車道を走る。本当はこれは日本でも同じ規則ですよね。日本では歩道を走るのが当たり前のようになっていますが、ニューヨークでは自転車が歩道を走るのは厳禁です。
子供や買い物行くお母さん、そして通勤、通学と気軽に自転車を使っている風景を日本では見かけます。ニューヨークではそのような風景は目にしません。ニューヨークで自転車と言えば”スポーツ”のイメージです。自転車は車道を走ると決められています。自転車に乗っているほとんどの人はヘルメットをつけてその恰好はスポーツウエアが大半です。休日には子供にヘルメットをつけさせて公園を走っている親子連れのツーリングカップルも良く見かけます。
車道を走るこの自転車のいくつかは渋滞の車の合間を潜り抜け、信号を無視したりとドライバーからの非難も少なくありません。歩行者が自転車と接触すると言う事故も絶えません。交通違反の自転車には反則切符が切られますが、このような取締りにまた拍車がかかりました。
一般の人が乗る自転車の他に”商業用自転車”をニューヨークではよく見かけます。これはレストランが出前に使う自転車です。日本で言う出前です。日本で出前と言えばそば、うどん、ピザ、丼などちゃんとした器に入ってバイクでやって来るのを想像しますが、ニューヨークで言う出前(Delivery)はビニールの袋に入ったポリエステル容器の配達です。
出前人はこのビニールの袋をぶら下げて自転車で運びます。この”商業用”自転車が今回のターゲットとなりました。出前人の雇い主は出前人を安全講習会に参加させることを義務とする法律が可決されました。また続いて可決されるであろう法律は出前人に雇用主が分かるベストを着用させるものです。 これによって無謀な運転をした出前人の雇い主は罰せられると言うものです。日本のように多くの自転車を見かけるニューヨークではありませんが、自転車の無謀な運転で死亡事故もあります。
ただ、商業用自転車に絞られた今回の法律、公平感を欠いている気もします。
車検 2012 年 10 月 3 日
ニューヨーク州では毎年、Car Inspection(車の検査)を行わねばなりません。日本で言う車検ですがどこの修理工場も混んでいて毎回予約を入れるのが大変です。日本だとトヨタなど販売店が修理工場も持っていて、場合によっては車を取りに来てくれるなどのサービスもありますが、ニューヨークでは修理工場を探して自分で持っていくと言うパターンです。
頭が痛いのがマンハッタン内にある修理工場はどれもこれも小さく、予約を取っても自分の番が回ってくることにおそろしく時間がかかるし、待つ場所もないほど事務所が狭い。客はどっさといて、いつ自分の車が検査されるか分からない。まあ、一人が対応していてみんな殺気立った表情をしている中で”いつになる?”など聞ける雰囲気ではありません。
車検はたったの37㌦です。ただ今回はブレーキパッド、サスペンションが悪いと言われ1700㌦もの見積もりとなりました。ジャッキ上げされた私の車を横目に、担当がもし高いと思うなら37㌦支払って他所に持っていてもいい。ただ車検合格のシールは貼れない、他所でも同じことを言われるだろうと言います。
こうなったら人質に車をとれているようなもの。また何週間か先の予約を取って出直しするのかと思うと、安全のためだと思い修理を頼みました。1日経って車を取りに行くと交換した部品をすべて見せてくれて、なるほど交換するしかなかったなと初めて合点しました。
こう思うのもニューヨークでの悪徳修理工場の噂は多く、替えなくても良い部品を替えるから修理中は立ち会ったほうがよいと友人からも言われたからです。長年使っている工場でしたが車検の時に大きな金額を言われたのが初めてで多少の疑いがありました。ずいぶん前に使った修理工場では悪くもないバッテリーを交換しようとしたり、修理した個所がひどく傷んでいたりと苦い経験がありました。イタリア系のこの工場はOKだったようです。
しかし、部品代が900㌦、労働代が600㌦とはやっぱりニューヨークの賃金は高い。できるだけ隣のニュージャージー州で修理はやったほうが安上がりのようです。
川になった高速道 2012 年 9 月 29 日
ものすごい豪雨です。ニュージャージー州からマンハッタンに入ると突然の渋滞。またもUN(国連)の影響か!と思いましたが、車はノロノロながら進むのでそうではないようです。もし要人のための安全確保なら道路は完全に封鎖され、車はピクリとも動かなくなるからです。
止みそうもない激しい雨の中、渋滞は1時間近くになります。対向車線を走る車は水しぶきを容赦なくかけて通り過ぎていきます。何が原因でこの渋滞か分からないままある地点に届くと、先のほうは車が流れているではありませんか。いったい何が?私の車が渋滞の原因になっている現場に着いて原因がわかりました。
道路が豪雨で川のようになってかろうじて通れるのが左側一車線だけ。それもノロノロ運転です。高速道路が雨で通れない状況に遭遇したのは初めてです。驚きました。ニューヨークは勿論、大都会ですが、大陸性気候でその自然はかなり野性的です。高速道路はどの国よりも早く発達したのですがその分、かなり古く傷んでいます。もともと水はけの悪いこの高速道路に豪雨で道路が川になっていまうと言う信じられない光景です。
10年ほど前ですがやはり集中豪雨が出勤時間に起こり、地下鉄がいきなりストップ、ダウンタウンまで歩いて出勤したことがあります。地下鉄もどの国より早くに発達した代わりにそのインフラは古く、豪雨で止まるし、豪雪でも止まります。ニューヨークでの生活は結構、天候に左右されます。強い雨が降ると言うのはストーム(嵐)を意味し、構えなければどんな不都合に出会うか分かりません。今はうそのように雨は止んでいます。ストームは小型台風のようなものです。
UN(国連総会) 2012 年 9 月 26 日
毎年、9月下旬から10月の上旬にかけての憂鬱は交通渋滞です。この期間中、ニューヨークでは国連総会が開催され、各国の要人がニューヨークの42丁目から48丁目、イーストリバーサイドに位置する国連本部にやってきます。JFK国際空港を結びマンハッタン内への入り口となる都市高速道路FDR。要人が通過する度に完全封鎖です。
前もって何時に閉鎖するとかいう親切な知らせはありません。普通に走っていた高速道路が突然、要人たちが通り過ぎるまで閉鎖となります。長い時で1時間以上、車が動かないこともあります。
昨日はクリントン国務長官の演説、夜にはオバマ大統領がマンハッタン入りし、歴代大統領が宿泊するアストリアホテルに宿泊。マンハッタンのミッドタウンど真ん中にあるこのホテルの厳戒態勢の中、付近の道路は閉鎖や検問で騒々しいことになります。住民にとっては本当に迷惑な時間が過ぎます。
今日もPC TECHに向かう途中、検問でいつもの道路は封鎖、歩いていくことすら許されません。結局は回り道をすることになりました。この強引なセキュリティ策は本当に舌を巻きます。
十数年前、クリントンが大統領だった時にアストリアホテルに宿泊したことがあります。鍵はカード形式で、バーで一杯飲んだ後、部屋に戻るとエレベーターから降りたところに黒のスーツに身を包んだ厳つい黒人男性。当時の大統領のセキュリティです。呼び止められ、部屋番号とIDを見せると新しいカードをその場でもらいました。どうやらホテル全部のカードの暗証を替えたようです。びっくりしますが、大統領の安全のため、そこまでの配慮をしているんだと感心しました。
国連の開催期間中はこのようにセキュリティが高く道路の閉鎖もありますがイランなど独裁国家への反対デモも各所であり、世界が一堂に会する場所と考えれば致し方ない気がします。
広域通信制高校 一ツ葉高校校長
Randalls Island Park 2012 年 9 月 24 日
ニューヨークでは最近、秋の気持ち良い快晴が続いています。気温はぐっと下がり、本格的に秋の到来の模様です。10月も中旬になると北風が強くなり、冬の到来を告げます。
昨日の日曜日はこの快晴の中、午前中で仕事を切り上げ、Randalls Island Parkまでウォーキングに出かけました。この公園は野球場、サッカー場、テニスコート、ゴルフ場と言う設備を備えている充実した公園ですが利用者が少ないことが問題となっています。ブロンクス、クイーンズ、マンハッタンを結ぶRFK橋のふもとに位置し、立地の悪さが影響しています。
マンハッタンからこの島はイーストリバーを挟んで本当に近くに見えるのですがイザ行こうとすると車でかなり遠回りしなければたどり着けません。もともと、マンハッタンの北とこの島を結ぶ歩道専用の架け橋があったのですが長い間、閉鎖となっていました。
この架け橋が今年の3月から再開となりました。架け橋の閉鎖前、私も昔、一度だけ渡ったことがあったのですが閉鎖になってからは行ったことがありませんでした。自宅から40分ほど歩くとこの島に届きます。島から見るマンハッタンの風景は絶景。セントラルパークのような観光地ではありませんから本当に静かです。マンハッタン内で聞こえるけたたましい救急車やパトカーのサイレンの音もなく、まるでニューヨークを離れてほかの州にいる気分です。
本来、アメリカの土地柄はこのようにゆったりしたものだったと思い出されました。ニューヨーク市は全米の中でも、アメリカらしくない土地。狭い土地に多くの人が生活し、移民が多くの人口を占める土地。本当にこの地だけは別のアメリカと言う気になります。ほんのわずかな時間ですがああ今アメリカにいると思い直すことができる瞬間でした。
帰り道、マンハッタンのいつものイーストリバー公園を通るとたくさんのテントがあり店が出ています。売っているものはすべて絵画とオブジェ。毎年同じ時期に開催されています。数年前、私もこの催で絵を買いました。今回は、めぼしいものはありません。絵は買いませんでしたがイーストリバーの反対側からマンハッタンを観て、帰りにマンハッタンの絵画即売に立ち寄ることができて、久々に休日と言う気がしました。
iPhone5 発売日 2012 年 9 月 21 日
昨日はiPhone5の売り出しでニューヨークも過熱していました。こちらのニュースではニューヨークより東京や香港、オーストリアでの熱狂ぶりが報道されていました。発売元のApple社の株価は上昇気流、iPhoneの人気はまだまだ続きそうです。
ニューヨークではこの発売への熱狂に合わせるようにNYPD(ニューヨーク市警)がiPhone等に対する新しいプログラム”Operation ID”を発表して購入と同時に加入するように呼びかけています。無料のこのプログラムはiPhone購入後にNYCで始まるシリアルナンバーを市警に登録すると言うものです。日本で言えば携帯電話を購入したら警察に製品番号を登録すると言うようなものです。
NYPDの発表によると今年の8月中旬で地下鉄内で奪われたiPhoneやiPadの数はすでに1,555件。昨年の1,386件を上回る数値です。日本では考えられないような数値です。このような実態を受けて地下鉄ではiPhoneの使用を控える人も少なくありません。
今回のiPhone5の発売によって盗まれる携帯等の件数は飛躍的に大きくなるとNYPDはうれしくない予測をしています。シリアルナンバーをNYPDに登録することによって盗まれた後の追跡が簡単になり、ブラックマーケットに流出するのが難しくなると言うことです。またしてもNYPDお得意の”悪い奴は捕まえる”手法の抑止力を狙ったものです。事件が起こらないように策を打つのではなく、取締りを厳しくして犯罪の発生を少なくしようと言う発想。合理的なようにも思えるがどこか違う気がします。
ただ、iPhone5の発売に応じて犯罪が増えると言う予測を立て、事前の手は打つ。これはいたるところにみられるアメリカ式思考で”備えあれば憂いなし”のこの発想、日本も見習うことが多いような気がします。犯罪が多いニューヨークでならではのiPhone5の発売日です。
Gaffe 失言 2012 年 9 月 20 日
PC TECHは教育庁へのライセンスの更新と連邦政府から出ている基準を満たすために大変な書類の作成に追われています。膨大な書類を提出しなければなりません。教育庁への提出は日本のそれとあまり変わらず、郵送の提出となるわけですが、連邦政府からの承認を得るための提出はすべてオンラインです。
100以上に及ぶ重要かつ難解な質問項目の答えをオンラインで答えなければなりません。7月に2週間以上かかって用意した100ページ以上に及ぶ答えを一つ一つ、Fileからコピーしてはオンラインに貼り付けます。それだけならまだしも、例えば消防検査の証明書などもアップロードしなければならりません。証明書を一旦PDFのファイルにしてアップするという手間です。
就業規則の何ページをコピーして提出しろとか、すべてファイル化するのにものすごい時間がかかります。オンライン上で分業できればまだ良いのですが、出来ないのですべてを知り尽くした私がやるしかありません。
オンラインは聞こえはよいのですが全く合理的ではありません。アメリカはある部分進んでいますが、多くの部分は日本のほうがずっと親切で進んでいるように感じます。
大統領選挙が近づいてきています。昨日はオバマ大統領がニューヨークに入り、夕方は道路が閉鎖になるなど交通が大きく乱れました。オバマ大統領は人気の深夜番組ライブショーに出演するなど現役としての余裕を見せていました。一方の共和党のミットロムニー氏、国民の47%は政府が医療保険や食事の世話をしてくれるのが当然と考え、犠牲者と思っているとGaffeつまり大失言をしてしまい、一挙に劣勢に立ってしまいました。選挙の行方は気になりますが大統領が替わっても私を苦しめるこの役所仕事の体制は変わらないだろうなと思ってしまいました。
広域通信制高校 一ツ葉高校校長
1年記念日 2012 年 9 月 18 日
去年の今日、9月17日にニューヨークのNew York Stock Exchange(ニューヨーク証券取引所)近くのズッコティ公園(Zuccotti Park)で経済格差に抗議すると言うOccupay Wall Street(ウォールストリートを占拠せよ)と言う活動が始まりました。今日はその1周年記念日になります。このOccipay Wall Streetはたった1%の裕福な人が99%の収入を支配しているという主張の経済格差を是正するデモンストレーションです。
数多くの人がこのスローガンに共鳴し、全米からニューヨークのウォール街に多くの人が集まり、狭い公園で寝泊まりを始めると言う異常な事態が起きました。当時、ニューヨーク市長もこのOccupay Wall Streetにある程度の理解を認め、ニューヨークに端を発した経済格差の運動はロサンジェルスやサンフランシスコと言う主要各地でも始まり、米国の抱える問題を庶民が直接訴えると言う民主主義の旗揚げのような社会現象を生みました。
またこの運動に刺激を受けて米国以外の英国などでも同等の動きが始まりました。2か月を経たZuccotti Parkの占拠は警察官による当局の排除行動で終わりました。Zuccotti Parkの所有者が安全面と衛生面で排除を求めたと言う建前です。
米国では色々な主張をデモで行うことは頻繁に見られ、これは民主主義の当然の権利と受け止められています。ただこのOccupay Wall Streetのような大規模で長く続いたデモンストレーションは近年では本当に珍しいものです。
明確なリーダーが存在しない、また明確なリーダーを生むことができなかったこの運動。結局は不発に終わりましたが今日の記念日には数千人がデモに参加し、125名の逮捕者を出しています。本拠地だったZuccotti Parkはフェンスで囲まれ、入ることは出来ませんが多くの人がウォール街をデモ行進しました。この記念日を機に去年のような大規模な運動へと機運が盛り上がるようには見えませんが、一度決めた主張をあきらめない多くの人々の中にアメリカ人としてのプライドが見える気がします。
広域通信制高校 一ツ葉高校校長
911 2012 年 9 月 12 日
今日はニューヨークの貿易センタービルが破壊された911のメモリアルデイです。11年前の2001年9月11日にこの同時多発テロが起きました。3000人もの罪のない民間人が殺されました。飛行機をハイジャックして貿易ビルの2棟に撃墜。中にいた多くの人々が犠牲となりニューヨークの象徴であった貿易センタービルは崩壊しました。
また、あと1機はペンタゴンに突っ込み、残るもう1機はワシントンへの撃墜を目指すところを乗客が阻止し、ペンシルバニアで墜落すると言う痛ましい事件です。
あの11年前も今日のように快晴で気持ちの良い秋晴れでした。この同時多発テロメモリアルデイの9月11日はいつもあの日のようによく晴れているように思います。朝、8時46分に第1機が貿易センタービルに衝突、丁度、私がネクタイを締めてPCTECHに向かおうとするときに流れていたニュースで事件を知りましたが、その時のニュースキャスターは火事と言っていました。
車の中で続々と流れるラジオからの情報は”アメリカが攻撃されている”と言うショッキングなものでした。車がマンハッタンの中心に近づくにつれて騒然となり、青い快晴の空には大きな煙が見えます。会社に向かう途中、通りで多くの人が泣いているを目撃しました。何が起こっているのかまだ判然としないままPCTECHにつくと部下から連絡があって危険だから脱出しろとのことでした。出社してきた従業員を帰し、車で帰宅しましたが大渋滞で4時間もかかり、自宅でTVを観てようやく何が起こったのかを理解しました。
それから11年、その間、米国は報復としてアフガニスタン、イラクへと進撃。ここでもテロで無くした人たちと同じ数の兵士を失います。米国内で生活しているとこの豊かで平和なこの国にこんなことが起こったことが信じられません。でも米国は絶えず、どこかで戦争している戦時中の国、と考えれば納得します。
今日は貿易センタービルで亡くなった3,000名の名前が読み上げられ、貿易センター北ビル、南ビルがそれぞれ激突された時間、ペンタゴンに飛行機が激突した時間、ペンシルバニアに墜落した時間、そして貿易センタービルのそれぞれが崩壊した時間の6回に黙とうがあります。私を含め、多くのニューヨーカーはテロがニューヨークでまた起きると信じています。それでも今日の平和な1日はこの犠牲者たちの上に成り立っているのです。